取材・文=藤井圭
「左足の靴紐を結び直して、気持ちで蹴ろうと思った」
舞台は、関東大学リーグでは4年ぶりに実現した早慶戦。終始劣勢で早稲田大の攻撃をひたすら耐え忍び、スコアレスで迎えた87分にFKを獲得した。この展開で勝ち点3を獲得するにはここで決めるしかない。そして主役になるのは、この男しかいなかった。
橋本健人が左足で蹴ったボールは、壁の上を超えて左のポストに当たると、そのままゴールに吸い込まれていった。
「キーパーとの駆け引きで少し左の壁の枚数が足りてないなと感じたんですけど、風が逆風だったので本当は相手のキーパーの立ち位置的に右のファー(ポスト)を狙う予定だった。でも(距離が)遠く感じて枚数が足りてないニアのほうに蹴ろうかなと思った。あとは気持ちで。仲間の思いが乗ってくれたと思う」
蹴られたボールの弾道は低く、まさにゴールへパスをしたような得点だった。この先制点を守り切った慶應大は、1-0で勝利を収めた。
「自分のフリーキックで決められて勝てたこと、僕が入学してから早稲田さんに勝ったことなかったので本当にうれしい」。そう橋本が振り返るように、1部昇格と2部降格で両大学が入れ替わり、リーグ戦ではここ3年間対戦がなかった。その間に行われた早慶サッカー定期戦では早稲田大が3連勝を挙げており、慶應大にとっては2016年の後期リーグ戦以来、4年ぶりの宿敵撃破だった。
殊勲のゴールを決めた橋本のキックは、今シーズン遂げた成長の証しだ。2022シーズンからのレノファ山口FC加入が内定している橋本は、今シーズン、JFA・Jリーグ特別指定選手として明治安田生命J2リーグでスタメン出場を果たすなど、すでにプロの舞台に足を踏み入れている。一見、順風満帆そうに見えるが、山口への練習参加でプロの洗礼を浴びた。
「プロのボールは(大学ものとは)違うので、平日にレノファの練習に行って土日に慶應に帰ってくると足の感覚が全然違った」
山口での練習や試合で使用するJリーグのボールと、大学で使っているボールでは異なる部分がいくつかある。「大学のボールは重いけど、プロのボールは軽いので、芯に当てないと真っ直ぐに飛んでいかず上にふかしてしまう」。2つのボールを蹴り分けるうえで橋本が大切にしたのは“感触”だった。
「(Jリーグのボールを)芯に当てることを心がけることで、大学の重いボールではパワーは伝わりづらいですけど、速いボールが飛ぶようになった。そういうところは試行錯誤しながら磨き上げている」
ボールを蹴った時の感触や感覚を大事にしてプロ仕様に順応しながら、大学での試合にも活かす。そういった個人での試行錯誤が橋本をさらなる成長へと導いている。
また山口での練習参加で橋本は悔しい経験もした。土肥洋一GKコーチからはっきりと弱みを指摘された。「オマエはインフロントキックが蹴れない」と。
「自分の蹴り方なのかもしれないですけど、インサイドですくい上げて蹴ってしまうところがある。そこは土肥さんに言われて、結構悔しかった。それからインフロントキックを練習したり、あとはプロの選手はキックも上手いので、例えば(池上)丈二くんとか吉濱(遼平)さんを見て練習している」
土肥GKコーチからの助言や目の前でプレーする山口の選手たちを参考に自らのプレーへ落とし込む。プロの世界に触れるからこそ得られるあらゆる経験が橋本にとっては刺激的で、さらなる進化をもたらしている。実際、武器であるキックの質をさらに高めた橋本は、関東大学リーグでは10試合を消化して5得点5アシストと目に見える結果で経験をチームに還元している。慶應大の浅海友峰監督も「橋本自身も両方のチームで貢献したいという気持ちでやってくれている。そういうメンタル面が素晴らしい」と高く評価している。
平日は山口で練習や公式戦に絡み、週末には慶應大に合流してリーグ戦をこなす。二足の草鞋を履きハードな日程をこなしながらも“あえて二兎を追う”橋本は邁進している。最終学年になる来年、そしてプロの選手として戦う再来年に大きな飛躍を遂げるために。試合の中でターニングポイントとなるシーンの中心には、いつも橋本健人が立っている。彼は主役の座が似合う男だ。