【インタビュー】「まず自分からクラブを愛すること」…兵働、吉本、鄭大世らの想いを継承する清水内定・早稲田大FW加藤拓己の覚悟


 「アマチュアとプロには見えない大きな壁がある」

 高卒でプロになれなかった加藤拓己は早稲田大学に進学後、父が残したその言葉の意味を真剣に考え、愚直にサッカーと向き合ってきた。

 人生の分岐点となった人との出会い。仲間と本気でぶつかり合うことで得た気づき。獰猛だった高校時代から「人格が100パーセント変わった」加藤のもとに、清水エスパルスから念願の獲得オファーが届いた。

 大学3年生で内定をつかみ取った加藤は、どんなビジョンを持ってプロの世界へ飛び込んでいくのだろうか。

「最初のオファーがエスパルスであってほしいと願いながら取り組んできた」

――まず、プロ内定おめでとうございます! 4年生になるシーズンを待たずして、清水エスパルスへの加入が発表されました。オファーが来たときの気持ちを教えてください。
加藤 夏過ぎにスカウト部の山崎光太郎さんから正式な打診をいただきました。自分の中で「エスパルスでプレーしたい」気持ちはもともと強くあったので、オファーをいただいた時はその期待に応えたいという思いが一番強くありました。エスパルスへの想いが強くなった要因には、やはりスカウト部の方々の働き掛けが大きくて、光太郎さんやヒョウさん(兵働昭弘)、内藤(直樹)さんといった方々が熱心に試合を観に来てくれ、アドバイスをたくさんもらいました。

正直、プレーに関する《ダメ出し》ばかりで、甘い言葉を掛けてもらったことはありません。でも、それだけ自分のことを本気で考えてくれてるんだと感じ取れたし、とくに光太郎さんは高校時代から僕がケガで苦しんだ時期も気にかけてくれていて、「エスパルスのために自分の力を還元したい」と思わせてくれました。自分としては「最初にオファーが来たチームに行きたい」という気持ちが強かったので、「それがエスパルスであってほしい」と願いながら大学サッカーに取り組んできた。だから、実際にオファーが来た時、行きたい理由はたくさんあったけど、断る理由は一つもなかった。それが加入を決めた理由です。

――プレーに関する《ダメ出し》とは?
加藤 光太郎さんからはボールの受け方や、受けた後の判断は「プロになる上でもう一段階上げないといけない」と口酸っぱく言われました。《言われるうちが華》というように、プロの世界では自分で考えることが当たり前で、練習参加をとおして監督から細かいことを言われたことはほとんどないです。そういう環境の中で「武器を磨き直せ」と言ってくれた鄭大世さん、いつも具体的なアドバイスをくれる光太郎さんのような人の存在は本当に大事ですし、そういった人たちからの本気のアドバイスをどう力に変えていくかは自分自身の課題だと思っています。

――山梨学院高校時代と比べ、自身のプレーで成長を感じる部分は?
加藤 まず技術レベルは上がったと思います。高校サッカーと大学サッカーでは、判断やプレーのスピードが違うので、大学サッカーを経てエスパルスの練習に参加した時、例えばパス1本が通るとか、プレー中にできることが増えました。あとは、フィジカルで当たり負けしないこと。高校まではDFを背負うプレーをしたことがあまりなく、ターンしてスピード勝負に持ち込むタイプでした。それが大学に入り、早稲田大の戦術の影響もあり、前線でタメをつくるプレーが必要になったため、まだまだ成長過程ですが、身体の当て方などは意識的に取り組んでいます。

――大学サッカーでマッチアップして苦戦したDFはいますか?
加藤 過去一番衝撃を受けたのは星キョーワァン(駒澤大学→横浜FC→松本山雅FC)選手。大学サッカーのデビュー戦でマッチアップしたんですけど、強いし、高いし、本当に何もやらせてくれなかった。悔しさのあまり、その日の夜はずっと泣いてました。でも、「大学サッカーってこんなにレベルが高いのか」と思うと、ワクワクもしましたね。実際、今シーズン対戦した中では蓮川壮大(明治大→FC東京内定)選手もバケモノ級で、「いける!」と思っても足がメッチャ速くて抜けなかった。常本佳吾(明治大→鹿島アントラーズ内定)選手のように、身体が小さくても一人で守れる選手もいます。いろいろなタイプのディフェンダーがいて、毎試合フォーメーションもチームのスタイルも違う相手と対戦できるのは大学サッカーの魅力の一つだなと思います。

――今シーズンはコロナ禍でリーグ戦のほとんどが無観客開催でしたが、多くのスカウトが見守る中でプレーし、どんなことを感じましたか?
加藤 毎回、試合前に来場しているスカウトのリストを見ると、必ず「清水エスパルス」の名前がありました。今ならライブ配信で映像を見ることも可能ですし、もしかしたら光太郎さんやヒョウさんも静岡から長距離移動して来ることで新型コロナに感染するリスクが高まってしまうかもしれない。それが仕事だからなのかもしれないですけど、それでも毎試合、足を運んでくれたことはすごくうれしかったですし、「僕ってこんなに変われるんだ」というぐらい、モチベーションがグッと上がりました。

「外池監督と出会い、人格が100パーセント変わった」

 

――高卒のタイミングではプロ入りの夢が絶たれ、どのようなビジョンを持って早稲田大に進学したのでしょうか?
加藤 高校の時はプロしか考えてなかったので、正直、大学サッカーのことは全く知らなくて、まず「大臣杯って何?」「インカレって?」っていうところから始まりました。それでも最後まで僕のことを熱心に誘ってくれていたのが早稲田大で、スカウトの玉井智久さんに、早稲田大からプロに入った選手の話を聞いたり、実際にア式蹴球部の練習に参加してみて「すごい組織だな」と直感的に感じて、ここで大学4年間、死ぬ気でやろうと決めました。

――プロになった同年代の選手たちの活躍はどのように見ていましたか?
加藤 橋岡(大樹/浦和レッズ)や(藤本)寛也(ジル・ヴィセンテ)はプライベートでも食事に行くほど仲が良くて、寛也から「ポルトガルに移籍する」と連絡を受けた時は、やはり刺激や学びなど感じるものがすごく多かったです。鹿島のジュニアユースで同期だった沖(悠哉)は、家に泊まりに行ったりする仲なのですが、トップチームで試合に出場するようになり、U-23日本代表候補合宿にも選ばれて、身近な存在がこれだけ活躍していると、「負けていられない」「彼らよりも上に行きたい」という気持ちが強くなります。その一方で、高卒でプロ入りしても3年で契約満了となっている同年代の選手もいるので、プロの世界の華々しさと厳しさの両面を感じています。

――高卒でプロに行く人と、他のコースからプロを目指す選手との違いはどこに感じますか?
加藤 タイミングや監督の好みも関係してくるので、本当に紙一重だと思います。ただ、僕の親父は鹿島で働いていたのでプロサッカー界を知っているのですが、その親父が「アマチュアとプロでは見えない大きな壁がある」と言っていました。改めてそれが何なのか今考えてみると、一言でまとめてしまえば《人間性》なのかなと。18歳から22歳って車に乗れたり、お酒を飲めるようになったりして一番遊びの範囲が広がる、難しい年頃だと思うんです。そこで自分自身をコントロールして、本気でサッカー選手として成り上がっていこうとできるか。高校時代の自分が今ほど本気でサッカーに向き合っていたかというと、まだ足りなかったんじゃないかと思います。

――大学を経たことによる自身の変化は?
加藤 自分にとっては外池(大亮)監督と出会えたことが一番の分岐点。外池さんはスーパーポジティブな人で、どんなに苦しい時も、泣きたいくらい悔しい時も、外池さんの一言で気持ちが楽になります。それはきっと、外池さん自身もサッカー経験があって、プロの世界の厳しさや大学サッカーの難しさ、現役引退後の苦しみを分かっている人だから。それだけ外池さんの言葉には説得力がありますし、贈ってもらった言葉の一つ一つがこれから先の人生に大きく影響していくと思います。

――外池監督は以前、加藤選手の長所として「オープンマインド」なところを挙げていました。
加藤 それは早稲田大に入って外池監督と出会い、人格が100パーセント変わったからだと思います。高校時代は、例えば他人がミスをした時、怒鳴り散らすことが他人を鼓舞する方法だと思っていたし、スタッフとつかみ合うくらい揉めたり、練習中に「もう、やらない」と言ったことも何度もあります。自分が先頭を突っ走ればみんなもついてくるだろう、自分がすべて正しいんだと思っていたから。だから高校までは、プレー中に選手からアドバイスをもらうこともなかったし、何かガツンと言われたら「何クソ」と思っていたんです。

でも、早稲田大に来てからは、ミス一つに対して「なぜ起きたのか」と選手同士で話し合うことができるようになった。相手に言われた言葉の《本当の意味》を冷静に考えるようになりました。外池監督は「学生だから話せば分かる」とよくおっしゃるのですが、やっぱり頭ごなしに怒りをぶつけたところで誰も得しないし、話し合わないことには解決しないんですよね。それも感情的に言い合うのではなく、問題を解決するために本心をぶつけ合う。ア式蹴球部はそれができる集団なので、僕自身、人と話すことが楽しくなりました。そういう変化もあって、以前は「ピッチに入れば人が変わる」と周りから言われていたのが、最近では「ピッチ上でも優しい」と言われるようになり、僕はそれが良くない変化なのではないかと思ったりもしたのですが、外池監督はそれも僕の個性だと認めてくださっています。

――大学に進学して良かったと感じていますか?
加藤 もう、大正解だったと思います。もし、高卒でプロに行けてたら今頃、切羽詰まっていたと思う。まだ3年生ですけど、早稲田大という組織で自分自身やサッカーと向き合えたことは大きかったです。

「託されるように『清水を愛してね』という言葉をいただいた」

――今シーズンのリーグ戦では10得点5アシストという個人成績を残しました。この数字についての満足度は?
加藤 改めて思うのは、優勝させられなかったことが本当に悔しくて情けないし、不甲斐ない気持ちが強いです。スギ(杉山耕二)、クワ(鍬先祐弥)をはじめとする4年生の支えがあって自分は最前線で戦うことができていたのに、彼らの期待に応えられなかった。もし、今シーズンの目標が「10得点」だったら満足していたのかもしれないけど、自分は大胆に「得点王を取ります」と宣言したなかで果たせなかったので、21試合で10得点という数字が良いのか分からないですが、まだまだ自分の力不足を感じています。

――来シーズンは学内や相手チームから《プロ内定者》という視線がより強く注がれると思います。どんなところで違いを見せていきたいですか?
加藤 早稲田大学からプロになれるのは毎年数人程度で、残りの部員は夢を諦めて就活することになります。内定が出た以上、もう僕だけの人生ではないので、他人よりも背負っているものが一つ、二つ多いと思いながら、そのプレッシャーを良い方向に変えていきたいです。「あれがエスパルスに入る加藤なんだ。やっぱり違うね」と感じてもらえれば、何でも良いと思うんです。例えば「シュートが上手い」とかサッカーのことでも良いし、「優しい」とか人間性の面でも良い。そういうふうに人に何かを感じさせることが大事だと思っていて、子どもからおじいちゃん、おばあちゃんたちまで、誰にでも何らかの刺激を与え続けたいです。

――JFA・Jリーグ特別指定選手として二足の草鞋を履く可能性もあるかと思いますが、どのように両立させるイメージを持っていますか?
加藤 プロに内定しているからと言って早稲田大で試合に出場し続けられる安心感はないですし、ひょっとしたらエスパルスの練習に行っている間に「早稲田大に加藤は必要ない」と言われてしまうかもしれない。もちろん、エスパルスで試合に出ることも簡単ではありません。ハシケン(橋本健人/慶應義塾大学、2022シーズンのレノファ山口FC加入内定。今シーズン、特別指定選手としてJリーグデビュー)とも話したのですが、戦術が違うチームを行き来するには頭の切り替えも必要ですし、難しさはあると思います。

だけど、エスパルスが大学3年生の選手に内定を出すのはクラブ史上初だと聞きました。そこで強化部の方々が僕に何を求めているかというと、エスパルスで感じたことを大学に還元して、大学サッカーのレベルを高めること。「Jリーグと大学サッカーの架け橋になってほしい」という言葉も掛けていただきました。ただの《練習生》という気持ちではなく、外国籍選手も含めたポジション争いで競い合い、外池監督がよく言う「感受性」を持って両チームで求められている役割を感じ取り、行動に移していきたいです。

――エスパルスでは具体的にどう貢献していきたいと考えていますか?
加藤 チームに求められているのは「ゴールを取ること」だと思います。あとはピッチ内外での立ち振る舞い。自分より年下の選手もいるので、大学で学んだことを伝えるのも自分ならではの役割かなと思います。そして何より一番は、サポーターに愛される選手になること。ついさっきテセさんの契約満了がリリースされたのですが、自分もテセさんのように多くの人に愛されるような存在になることは絶対に成し遂げたいです。選手とスタッフ、社員、メディア、サポーターの方々などとの距離感を今よりさらに縮めていけたら良いですよね。そこは自分も含め若手が頑張るべきところだと思いますし、それこそ『デジっち』(『やべっちF.C.』(テレビ朝日系列)内で放送されていた人気企画)でテセさんが身体を張っていたように、ムードメーカーを担っていきたい。外池監督からは「どこに行ってもオンリーワンであり続ける存在」になるよう言われているので、自分にできることは100パーセントの力で何でもやりたいです。

――鄭大世選手とは連絡を取りましたか?
加藤 契約ごとなので分からない部分もありますが、テセさんがアルビレックス新潟へ期限付き移籍したタイミングで「もしかしたら、もう一緒にプレーするのは難しいかもしれない」と聞いていて、心の準備はしていたつもりでした。でもやっぱり、いざ契約満了のリリースが出ると悲しい気持ちになりましたし、テセさんに掛ける言葉が見つからなくて……。改めて自分がテセさんの分もやらなきゃいけない、という気持ちが強くなりました。

――プレースタイルやお二人の師弟関係から、加藤選手には《鄭大世2世》というイメージもついています。改めて加藤選手の魅力とは?
加藤 見て分かると思いますが、僕は決して《上手い》選手ではないし、かといって誰よりも走れるタイプでもない。でも、誰よりも前線で身体を張り続けたいし、できるだけゴールに近い位置でプレーして、どんな時も相手にとって脅威であり続けたいと思っています。そしてテセさんのように強引に前に持っていくプレーや無理な体勢でも飛び込んでいく姿を見て欲しいです。そこが自分の魅力だし、「テセさん2世」と言っていただける所以だと思うので。

――鄭大世選手の他に、影響を受けた選手はいますか?
加藤 先日引退を発表したカズくん(吉本一謙)です。シーズン終盤の練習参加で初めて一緒にプレーする機会があり、3、4日しか絡めなかったのですが、まだ練習生の自分に対しても歩み寄ってくれて、その姿勢に感銘しました。今シーズン、ほとんど試合に出ていなかった中で最終節のガンバ大阪戦で先発出場し、あれだけのパフォーマンスを出せるって、よっぽど実直にサッカーと向き合ってきたんだと思うし、すごくサッカーを楽しんでいるように見えました。カズくんからは託されるように「清水を愛してね」という言葉をいただいたので、偉大な先輩の想いも背負って自分がエスパルスを大きくしていきたいです。

――サポーターから愛される選手ってどんな選手だと思いますか?
加藤 まず、愛されたいのであれば、自分から愛することが絶対条件だと思います。僕、ヒョウさんの引退セレモニーの映像を動画サイトで見て、ヒョウさんの隣で泣きそうになっちゃったんですけど(笑)、一度は移籍してクラブを離れても最後に惜しまれながら引退できたのは、ヒョウさんの人柄の良さであり、ヒョウさん自身がサポーターの皆さんをすごく愛していたからだと思うんです。そういった姿勢はカズくんやテセさんもそう。そこは継承していきたいです。あと、僕は「サポーター=応援してくれる人」ではなく、一緒に《エスパルス》というクラブをつくり上げていくパートナーだと思っていて。同じユニフォームを着て、同じクラブを愛する一員だと思いながら一緒に戦っていきたいです。

取材・文=柿崎優成
取材日:2020年12月23日

加藤拓己(かとう・たくみ)
1999年7月16日生まれ、茨城県龍ケ崎市出身。龍ケ崎ペレグリンジュニアFCでサッカーを始め、鹿島アントラーズの育成組織から山梨学院高校を経て早稲田大学に進学。U-16から各年代別代表の経歴を持ち、『U-16インターナショナルドリームカップ2015JAPAN』や『2017 SBSカップ国際ユース大会』に出場。フィジカルの強さを武器とし、空中戦に限らず多彩な得点パターンを持つ万能型ストライカー。大学3年生となった2020シーズンは背番号10を託され、同年11月、2022シーズンからの清水エスパルス加入内定が発表された。