【インタビュー】北九州加入内定DF村松航太~第1弾:171センチのCBがプロ内定を得た理由…「生き残るためなら、どんなキャラにでもなれる」

 順天堂大学の3年生になった春先のこと。同学年にはプロ入りが内定したり、練習参加に行く選手が増えたりする中で、村松航太(清水エスパルスユース出身)は焦りを覚えていた。

「正直、他の(CBの)選手が羨ましいと思う時もある。“高さ”っていう、俺にはない武器をすでに持ってるんだから」

 171センチ。現代のセンターバックとしては圧倒的に小柄な方だ。それでもユース、大学時代は指揮官の信頼を勝ち取り、レギュラーの座を確保し続けた。そして大学4年生の11月。ギラヴァンツ北九州への加入内定が発表され、ついに念願だったプロ入りの夢を叶えた。

 彼が紡ぎ出す、時に強気な言葉の数々は、決して“驕り”から生まれているものではない。むしろ誰よりも自分に厳しく、現実=身長というハンデと真正面から向き合ってきた人だ。

 自分の力を最大限に発揮する努力を重ねてきた自負がある。だから彼の言葉の裏には、揺るがぬ自信がみなぎっている。

第一印象は「このカテゴリーにいるチームじゃない」

――まず、プロ入りおめでとうございます! どんな経緯でギラヴァンツへの加入を決断したのですか?
村松 ありがとうございます! 大学4年生になってチームとして結果を出せていなかったし、個人としても選抜に入ることができていなかったので、正直、J1のクラブに行くのは厳しいだろうと思っていました。

――3年生の時には、鹿島アントラーズの練習に参加したこともありましたよね?
村松 はい。先輩の名古(新太郎)くんが順大から鹿島に入っていたこともあって、鹿島のスカウトの方が気にかけてくれていたみたいで。でも結局、オファーは来ず。4年生の夏過ぎぐらいに、あるJ2のクラブの練習に参加して、そこではボランチとして練習試合に出させてもらったんですけど、そのチームがロングボールを多用するスタイルだったので、ボールが全部頭上を超えていくような状況で、「あれ?ちょっと違うな」って思っちゃって。

――イメージしていたスタイルとは違った、と。
村松 結局、そのクラブも正式オファーは来なくて、10月上旬ぐらいにギラヴァンツの練習に3日間参加させてもらいました。その時の衝撃がすごかった。鹿島とかに比べたら正直、知名度のある選手は多くないけど、サッカーが面白いなって。ボールを大事にするし、攻守の切り替えが速いし、「このカテゴリーにいるチームじゃない」っていうのが第一印象でした。その後もう一つ、練習に呼んでくれたJ2のクラブがあったんですけど、そっちに行く前に「ギラヴァンツにしよう」って決めました。

――慎重な決断にはならなかったんですね。
村松 親父や弟に相談した時、弟も今、日本文理大の2年生でサッカーをやってるんですけど、「最初にオファーをくれたチームがいいよ。それだけ欲しがってくれてるってことだから」ってアドバイスをくれて、たしかにそうだなって思ったし、やりたいサッカーのスタイルも合っていたので、迷いはなかったですね。

――実際にギラヴァンツ側の熱意は感じましたか?
村松 すごく感じましたね。小林伸二監督は、エスパルスつながりで俺のことを知ってくれていたみたいだったし、スカウトの平井さんはわざわざ順大がある千葉まで何回も足を運んでくれたし、コーチには「俺ら昇格するから、来年一緒にJ2で戦おうよ」って言ってもらって、それは素直にうれしかったです。

相手が有名であればあるほど、燃える

――大学時代は、「センターバック以外のポジションをやりたい」と葛藤していた時期がありましたね。
村松 そうでしたね。4年生になったらやらせてもらえるかなと思っていて、夏過ぎぐらいに堀池(巧)監督から、「ボランチかサイドバックやってみるか?」と提案されて、「ぜひ!」と答えたんですけど、結局、チームの調子が良くなくて、新しいことを試すような余裕がなく、一度も実現しないまま終わりました。でも、俺が「センターバック以外をやりたい」って言ってたのは、「この身長で、このまま大学でセンターバックをやってて、プロになれるのかな?」っていう不安があったからなんです。

――ギラヴァンツでは、どこのポジションでの起用が想定されているか聞いていますか?
村松 ボランチ、サイドバック、センターバックのどこでもやってほしいと言われました。練習参加した3日間ではボランチしかやらなかったんですけど、伸二さんからは「チーム事情でボランチしかやらせてあげられなかったけど、能力が高いのはわかったから、サイドバックとセンターバックも見てみたかった」と言っていただきました。

――順大ではほぼセンターバックしかやっていないのに、ボランチやサイドバックとして期待されるのはなぜだと思いますか?
村松 ギラヴァンツだけでなく、その前に練習参加したクラブも、さらにその後、練習参加するはずだったクラブからも、「ボランチで使ってみたい」って言われたんですよ。やっぱりこの身長で、プロの世界でセンターバックを続けるのは難しいと思われているのか……。あとは、センターバックでのプレーを見て、「ボールの受け方や扱い方からして、ボランチでもいけると思う」ってよく言われます。

――村松選手と少しタイプ的に似ている、順大の先輩の坂圭祐選手(2018年に湘南ベルマーレ加入)が以前、「ここまでずっとセンターバックとしてやってきたから、プロでも勝負したい意地がある」と言っていました。村松選手は?
村松 俺は、試合に出られるなら、本当にどこでもいいです。もし、「左サイドハーフなら出られるよ」って言われたら、「やります」って答えると思う。坂くんの場合はもともとセンターバックをやりたくて、でも身長が低いから周りに「無理だよ」って言われてきたらしいんです。だから「絶対(センターバック以外は)やらない」って本人は意地張って言ってましたけど(笑)。俺の場合はもともとセンターバックが嫌で、でもチーム事情で高校、大学とずっとセンターバックが続いているだけなので、そこまでこだわりはないですね。

――ボランチやサイドバックとして起用したいと言われるのはうれしいですか? それとも経験が少ない分、多少の不安はあったりしますか?
村松 うれしいですね。経験は少ないかもしれないけど、結局は“慣れ”だと思うので。でも、スカウトの方には「なんだかんだ、センターバックに落ち着きそうな気がする」とも言われました。

――センターバックとして、Jリーグの舞台で通用する自信はありますか?
村松 うーん、どうだろう……171センチのセンターバックってなかなかいないですよね。でも、意外とできちゃうんじゃないかなって(笑)

――ここで弱気な発言をするタイプの選手ではない、ですよね?(笑)
村松 ハハハ(笑)、たしかに。外国籍選手とか、例えばオルンガ選手(柏レイソル)みたいな“化け物級”の選手と対峙したら、どうなるかわからないですけど、それはそれで対峙するのが楽しみです。

――大学時代、「止められないな」と苦手意識を持った相手選手はいましたか?
村松 いなかったですね。4年間で一人も。手を焼いたなって思う時はあったけど、(止めるのが)無理だとは思わなかった。年代別代表や大学選抜に入っているレベルの選手が相手でもぶち抜かれたことはほとんどなかったし、むしろ止めた印象の方が強くて、相手をイライラさせることができてたかなと。相手が有名であればあるほど、絶対に止めてやろうって燃えるんで(笑)

大学1、2年時は2学年上の坂(写真左)とともに、大学サッカー界屈指のCBコンビを形成した

ボランチやサイドバックは未知数

――ユーティリティーな選手は重宝される一方で、“器用貧乏”になってしまう場合もあります。村松選手の場合は、どうしたらプロの世界で生き残っていけると考えていますか?
村松 センターバックとしてのプレースタイルは、高校、大学とずっとやってきたのもあるし、体格的に限度があるから、もうある程度わかってるじゃないですか。でも、ボランチやサイドバックは未知数というか、今はセンターバックをやってた経験から守備的って思われているけど、実際にやってみたら、意外と前の方でボールを捌けるかもしれないし、自分でシュートを決めちゃう可能性もあるかもしれない。ボランチやサイドバックは身体が大きくなきゃ無理ってわけじゃないから、生き残るためなら、自分次第でどんなキャラクターにでもなれると思うんです。例えばサイドバックなら、堀池監督はあまり高い位置で受けずに後ろの方で起点になれって言っていたけど、伸二さんのサッカーの場合は、サイドバックが高い位置を取って、その分、センターバックがワイドに開いてボランチが落ちたりする。どの監督でも、どのポジションでも要求に応えたいので、プレースタイルを自分で決めたくないです。「どこのポジションでもいいからピッチに立たせておきたい」って監督に思われるような選手が理想です。

――ギラヴァンツの練習に参加した時は、どんなボランチだったんですか?
村松 最初は、ボールをできるだけ多く受けて、展開して、潰すところは潰す、みたいなキャラでいこうと思ってたんです。それが、練習試合の中でクロスからアシストしちゃって。マンチェスター・シティの試合をよく観るんですけど、それこそ(リヤド)マフレズとかベルナルド・シウバが右サイドをえぐって、落としたボールを(ケヴィン)デ・ブライネが上げて、(ラヒーム)スターリングか(セルヒオ)アグエロが決める、みたいなシーンとほぼ同じような形をやったんです。それで、自分でも「あれ?」って。

――攻撃も“できちゃった”みたいな。
村松 ボールが来る前からゴールまで全部がイメージどおり。決めたFWの佐藤颯汰も、そんなに高さがある選手じゃないんですけど「触るだけで良かった」って言ってくれたボールを蹴れたので、あれはたまたまだったかもしれないけど、意外といけるぞ?って思えたのはプラスになりました。

――海外サッカーはよく観るんですか?
村松 メッチャ観ます。一番よく観てるのはプレミアリーグ。バルセロナも観ますけど、ああいうサッカーって意外とカウンターに弱かったりして、最近は格下に負けたりすることも増えてきてるじゃないですか。じゃあ、現代サッカーを象徴しているのはどこなんだろうって思った時に、CL(UEFAチャンピオンズリーグ)を獲ったリバプールとか、マンCとか、(ジョゼ)モウリーニョが監督になってからのスパーズ(トッテナム)とか。プレミアの上位を占めてるチームって、回せるし、縦にも速いし……勉強のために観てるのもありますけど、ほぼ、ファンみたいな感覚です(笑)。夜更ししてリアルタイムで観ることも多いし、観れなかった時もハイライトは絶対に観るし、まず、スタメンが発表されたらチェックしますし。

――「観るよりプレーするのが好き」っていうタイプの印象だったので、かなり意外です。
村松 海外サッカーを観始めたのは大学3年の途中ぐらいから。それ以前はまさに「自分が好き勝手にプレーできればいい」っていうタイプでした。観るようになったきっかけは、海外の有名な選手の誰々がどこに移籍したっていう話を後輩たちがしていた時に、全然話についていけなくて、「あっ、そうなの?」しか言えなかったのが悔しかったから(笑)。サッカーをやってる身として、これじゃダメだなと思って、そこからはメチャメチャ観るようになったし、今では自分が情報を教える側になりました!

順天堂大ではチームメイトと切磋琢磨しながら4年間コンスタントに出場を重ね、最多出場賞を受賞した(村松は写真左から2人目)

一緒に成長していけるなら、ギラヴァンツ一筋でいたい

――その負けず嫌いな性格は昔からずっとですか?お父さんがだいぶ存在感が強い人だという噂をお聞きしたのですが、どういう教育を受けた影響とか……。
村松 親父は、たしかに存在感はメチャメチャありますけど、特別何か言われたことはないですね。俺の中ではすごくカッコいい親父で、ずっと背中を見てきたっていう感じです。

――お父さんはサッカー経験者ですか?
村松 いや、やってないです。そういえば一つ、とっておきの話があって。俺、4~5歳の頃に空手を習い始めたんですよ。1歳上の従兄弟が体験に行くって時についていったら、先生に「君もやりなよ」って言われて、やってみたら面白くて。通うようになったら、団体で全国優勝したり、個人ではベスト16に入ったり、県大会で2連覇したり、まぁまぁ強くなったんです。で、ある時、親父に「もっとこうした方がいいよ」って言われたらイラついて、つい、「自分はやってないくせに、偉そうに言うなよ!」って言っちゃって。そうしたら、まさか親父も空手を習い始めて…!結構、いい歳した親父なのに、俺よりも先に昇格しちゃったんです(笑)

――“負けず嫌い”はお父さん譲りなんですね(笑)
村松 その後、小学4年の時に空手をやめてサッカーに移って、サッカーでもよく親父に怒られましたけど、同じように言い返したら今度は親父もサッカー始めるなと思って、もう何も言えないです(笑)

――プロ入り後、どんなキャリアを歩みたいですか?
村松 まず、1年目からバリバリ試合に出て、一番の目標はギラヴァンツと一緒にJ1に行くこと。最近ではJ2、J3で結果を残して“個人昇格”する選手が増えてますし、俺もJ1でプレーしたい気持ちはもちろんあります。だけど、自分だけJ1に行くっていうのは自分の中の責任感が許さないというか……。もし、上のクラブに移籍するとしたら、クラブの人やサポーターの方たちに、「お前はもうこのクラブにいるべきじゃない。もっと上に行け」って背中を押してもらえるぐらいの結果を残してからだと思います。チームに何も残してない状態では出ていくべきではないと思うし、ギラヴァンツと一緒に成長していけるなら、ずっとギラヴァンツ一筋でいたい。

――海外に挑戦したい気持ちは?
村松 ……以前は「絶対、海外行きたい」って思ったんですけど、今は日本で結果を残し続けるのも、それはそれでいいのかなって。日本代表は入りたいです。でも、代表って日本で結果を残していれば呼ばれるチャンスはあるし、逆に、海外に行ったら絶対に呼ばれるわけでもない。他の選手を批判するわけじゃないですけど、海外に行って失敗してすぐ戻ってくるのって、“メチャクチャダサいな”って思うんです。チャレンジすることは良いことだし、俺も機会があればチャレンジしたいけど、行くなら「もう日本には戻ってこない」ぐらいの覚悟を持たないと。移籍って、それぐらいの覚悟が必要だと思うから、中途半端な気持ちで「行きたい」とは言えない。それなら日本でやり続けて、名前を大きくしたいです。

――「名前を大きく」ってどれぐらいをイメージしてますか?
村松 まずはJ1に上がる。で、上位に行って、スタメンで出続ける。チャンスがあればキャプテンをやらせてもらって……。

――他のチームのサポーターにも存在を認知されるような?
村松 ですね!「あぁ、アイツ、相手からしたら嫌な選手だよね」って言われたいです。

インタビュー・文=平柳麻衣
写真提供=村松航太

村松航太(むらまつ・こうた)
1997年8月22日生まれ、静岡県出身。小学4年時に地元・藤枝の青島北サッカースポーツ少年団で本格的にサッカーを始め、NPO藤枝東FC、清水エスパルスユースを経て順天堂大に進学。代表歴はU-17日本代表。大学では3年時に関東大学リーグ・ベストイレブン、4年時に最多出場賞を受賞。昨年11月、2020シーズンからのギラヴァンツ北九州加入内定が発表された。小柄ながら身体能力の高さを生かして対人に強く、足元の技術も備えたセンターバック。中学時代はアンカー、ユース・大学時代はサイドバックを務めた経験もある。