【インタビュー】北九州加入内定DF村松航太~第2弾:1学年上は北川航也ら黄金世代…「俺、無理だ」と思った清水ユース時代

小学4年生から本格的にサッカーを始めた村松航太の人生を振り返ると、けがなどの事情がなく公式戦に全く絡めなかったのは、高校1年の数カ月しかない。才能あふれる選手たちの間に埋もれ、「俺、無理だ」と一度は消えかかった闘志。だが、“芯の強さ”とも言える負けず嫌いな根性が、彼の心に再び火を灯した。順天堂大学からギラヴァンツ北九州への加入が決まった今、清水エスパルスユースで過ごした3年間を振り返る。

どうせまた副審でしょ?って思ってた

――NPO藤枝東FCからエスパルスユースに加入した経緯は?
村松 もともとは藤枝東高に行くつもりで、中学生の時、勉強もそこそこ頑張ってたんです。東高は偏差値が高いから、さすがに学力だけじゃ無理だったけど、サッカー点をプラスすれば合格できるから、ぜひ来てほしいと言ってもらいました。だけど、そんな中でエスパルスから声を掛けてもらって、すぐに「行く」って決めました。

――レベルが高いところでプレーしたかったということですか?
村松 レベルというより、プロに近いところに行きたかったから。中学生の頃から絶対にプロになりたいと思っていて、藤枝東FCにいた時は、東高に入って1年生から試合に出て、勉強も頑張って大学に入って、そこからプロっていうのが目標でした。でも、エスパルスユースに入ればプロの世界が一気に近くなると思って、それなら挑戦しようと。

――エスパルスユースに入って、実力的には周りと比べてどう感じましたか?
村松 中学3年の時から定期的に練習に参加させてもらっていたんですけど、あの時はもう、「俺、無理だ」って思いました(苦笑)。だって、1学年上には(北川)航也くん、(水谷)拓磨くん、(宮本)航汰くん、(西澤)健太くんがいて、その上には鈴木準弥くんがいて、さらにその上には石毛(秀樹)くんや加賀美(翔)くんがいて……。「俺、この人たちを相手にしなきゃいけないの!?怖っ!」って思ってましたから。やっとベンチに入れてもらうようになったのが高校1年の9月か10月頃だったので、慣れるまで本当に時間が掛かりました。

――他の同級生はもっと早かったんですか?
村松 早い人も何人かいましたね。試合に出てる人もいたし、ベンチに入ってる人もいた。それなのに自分は紅白戦にも出させてもらえなくて、副審をやったりしてました。

――これまでのサッカー人生において、それだけ公式戦に絡めなかった期間ってその時期だけじゃないですか?
村松 そうです。だから、先輩たちの良いプレーを必死に真似ようとして……だけど、あまりに練習が退屈だったから、「もう、行きたくない」って思ってました。行っても紅白戦に出られないし、どうせまた副審をやらされるだけでしょ?って。それか、紅白戦を横目に見ながらボール回しをするだけだったし。

――どうやってその時期を乗り越えたのですか?
村松 夏ぐらいまでは練習もただボーッとやっていて、正直、「上級生になれば、自然と試合に出れるようになるだろう」って思ってた。でも、それってメチャメチャ甘い考えだってことに自分で気づいたんです。例えば、紅白戦の3本目に出させてもらった時に良いプレーができたりすると、次の週の紅白戦では2本目で使ってもらえたりして、それでスタメン組を圧倒できた時なんか、すごく楽しくて。「あぁ、この気持ちを忘れちゃダメだ」って思って、そこからはもう、必死でした。自分には失うものが何もなかったから、公式戦に出てる同期に追いついてやろうって、自分を奮い立たせてましたね。

平岡さんに「うるせえんだよ」と言ってしまった(笑)

――スタッフ陣との印象深い思い出はありますか?
村松 2年生の夏までは大榎(克己)さんが監督で、大榎さんが俺をセンターバックとして使ってくれました。大榎さんのサッカーはかなり攻撃に重きを置くから、慣れるまで大変でしたけど、良い経験になりました。その後、平岡(宏章)さんが監督になって、平岡さんは俺の自主性を尊重してくれる人でした。エスパルスユースから順大に入ったのって今、自分から下の学年に望月陸、新関成弥、栗田詩音って毎年続いていますけど、彼ら3人には平岡さんから頻繁に連絡が来てるんですよ。でも、俺のところにはあまり来なくて。思い返すと、ユース時代も俺が何か言われたことってあまりなくて、キャプテンをやっていた3年生の時なんかは俺が結構、自主的に動いてたことが多かったから、平岡さんはたぶん、俺のそういう性格を見て、あえて委ねてくれていたんじゃないかなって。そういうところは、精神的な面で成長する上でありがたかったです。

――では、あまり個人的に怒られたりしたことはなかったですか?
村松 もちろん、締めるべきところはビシっと言ってくださる方ですよ。そういえば、試合中に平岡さんと喧嘩したこともあります(笑)。今でもはっきりと覚えてるんですけど、藤枝総合運動公園サッカー場でやった鹿島アントラーズユース戦。相手はカウンター狙いでかなり引いていて、俺らがボールを保持する時間が長くて、平岡さんからは「外から攻めろ」という指示が出ていました。だけど俺は、外で回してるだけじゃこじ開けられないだろうと思って、1本縦パスをビュンって入れたんです。それがFWに合わなくてゴールキックになり、平岡さんに「お前、外から行けよ!」って言われて、つい「うるせえんだよ!」と言い返してしまって。当然、その後は平岡さんから「お前、ちょっとこっち来い!」ってひたすら呼ばれて、「まずいことをしたな」って思いました(笑)

――そのプレーの判断は、今でも自分の方が正しかったと思いますか?
村松 外からばかり攻めていても相手にとって怖くないし、失点につながらなければ、1本ぐらいはチャレンジしても良かったのかなと思います。だけど、キックの精度が伴わなかったのは事実で、平岡さんの言うことも一理ある。エスパルスユースはみんなおとなしくて、監督の言うことを素直に聞く良い子ばかりなので、平岡さんも今では「俺に言い返してきたのは、お前ぐらいだよ」ってイジってくれます(笑)

――以前、「戻れるならエスパルスに戻りたい」と話していたと思いますが、今はエスパルスに対してどんな感情を抱いていますか?
村松 俺はユースから入ったので3年間しか所属してないですけど、順大に入ってからも「戻りたい」って思ってたのは事実ですし、そのために大学で結果を残そうと努力してきたし、もし戻ることができたら、エスパルスのために尽くしたいと思っていました。だけど、大卒のタイミングでは声を掛けてもらえなかった。……言葉にするのが難しいですけど、今の素直な気持ちを言うと、悔しさの方が大きくて、「エスパルスを倒して、もっと上に行きたい」というのが本音です。見返したいというか、反骨心ですかね。ただ、先のことはわからないですし、平岡さんをはじめ、お世話になった指導者の方たちには本当に感謝していますし、大学に行ってからも熱烈に応援し続けてくれるサポーターの方もいたりして、そういう方たちの存在はありがたいなと思います。

――村松選手にとって、エスパルスとは?
村松 「プロになりたい」という気持ちを一番強くさせてくれた場所。もし、東高に進学してたら大学卒業後は公務員や銀行マンになっていたかもしれない。エスパルスの育成環境は本当に素晴らしいですし、違うクラブではありますけど、プロという幼い頃からの夢を叶えられたのは、エスパルスユースで過ごした時間があったからだと思っています。だから静岡まで知れ渡るように、北九州で結果を残せるよう頑張りたいです。

インタビュー・文=平柳麻衣

村松航太(むらまつ・こうた)
1997年8月22日生まれ、静岡県出身。小学4年時に地元・藤枝の青島北サッカースポーツ少年団で本格的にサッカーを始め、NPO藤枝東FC、清水エスパルスユースを経て順天堂大に進学。代表歴はU-17日本代表。大学では3年時に関東大学リーグ・ベストイレブン、4年時に最多出場賞を受賞。昨年11月、2020シーズンからのギラヴァンツ北九州加入内定が発表された。小柄ながら身体能力の高さを生かして対人に強く、足元の技術も備えたセンターバック。中学時代はアンカー、ユース・大学時代はサイドバックを務めた経験もある。