エスパルスの“新・三羽烏”と言えば、2015シーズンにユースからトップ昇格した北川航也、水谷拓磨、宮本航汰のことを指す。さらに、同学年では大学経由で西澤健太(筑波大→清水)と鈴木翔太(東京学芸大→藤枝MYFC)もプロ入りを果たし、まさにエスパルスアカデミーの“黄金世代”と言えよう。
そんな個性あふれる面々をキャプテンとして束ねていたのは、この5人の誰でもない。今、JFL・ヴィアティン三重で奮闘する森主麗司だ。率直に明かした同期へのライバル心、そして「戦う場所」をくれたヴィアティンへの感謝の想い。“愛されキャラ”全開で語る男の言葉の節々から、秘めたる“雑草魂”が見えた。
航也を「いかに気分良くプレーさせるか」は意識してた
――関西大時代のブログを拝読しました。1996年9月25日、エスパルスがヤマザキナビスコカップ(現YBCルヴァンカップ)で優勝した日に生まれた、と。
森主 そうなんですよっ! だから僕はずーっと「運命」だと思っていて!
――では、小さい頃からエスパルスに興味を?
森主 …いや…そういうわけでは…(汗)。サッカーを始めたのは、日韓ワールドカップがきっかけでした。それで静岡城内フットボールクラブに入ったんですけど、僕がいた頃はそんなに強くなくて、それこそ(北川)航也(現ラピード・ウィーン)や(水谷)拓磨(現AC長野パルセイロ)がいたチームにはボッコボコにされたし、(西澤)健太のチームや(宮本)航汰のチームも強くて、全然敵わなかったです。
――そんな彼らと、エスパルスジュニアユースでチームメイトになりました。エスパルスアカデミーの“黄金世代”と呼ばれた代で、森主選手はキャプテンを務めましたね。
森主 いやいやいや。キャプテンなんて名ばかりで、『コイントスじゃんけん』ぐらいしかしてないですから!
――しかし、「森主選手がいたからこそ、個性の強いメンバーがまとまっていた」という声をよく聞きます。
森主 “イジられキャラ”だもんで、誰とでも仲良くしてたから、みんな何かと僕に言いやすかっただけですって!
――どんなことを言われたのですか?
森主 みんな思春期なので、ピッチ外でのちょっとしたいざこざは…ねぇ(笑)。僕はそれを聞いて、「あぁ、そうなん?」って適当にさばいてただけ。そもそも本当に大きな喧嘩もなかったし、折り入って話をするような学年でもなかったので、キャプテンとして苦労はしてないんです。
――例えば、アカデミー時代の北川選手は、周囲も気を遣うほど我の強い選手だったとお聞きしていますが。
森主 ハハハ(笑)、確かにそう。航也の場合は、こっちも言い返すとふてくされてしまうから、「いかに気分良くプレーさせるか」は結構、意識してたかな。
――各々の良さを引き出すコツを把握していた、ということでしょうか?
森主 そういうことにしておきましょうか!(笑)。でも、僕はあの代の中で一番サッカーが上手いわけでもない。ましてやキャプテンを務めるなんてね。だから、どうしたら周りの人の力を100パーセント引き出せるかってことはすごく大事にしていました。
――森主選手の“良い人エピソード”として、先日、2学年後輩の平松昇選手(立正大)が「キャプテンなのに、ボトルの水汲みなどの雑用を率先してやる人」と言っていました。
森主 それね、ユース時代だけじゃなく、大学に行ってからもずーっとやってたんです。もちろん、後輩たちにも「やれよ~!」とは言いますけど、僕みたいなタイプが言葉で伝えても、なかなか人を動かすのは難しい。それなら自分がやって、その姿を見た後輩も一緒にやってくれたらうれしいし、もし誰もついてこなかったとしても、僕が作業しておけば間に合うから、誰にも迷惑をかけないでしょ? 別にね、先輩なんて言ったって、ただちょっと早く生まれただけだし、チームが円滑に動けば良いんですよ!…って、そんなんだから、今も20歳ぐらいの後輩に平気でタメ口を使われちゃうんですけどね(笑)
――とても話し掛けやすい人ということでは?
森主 そう! そこが長所なんです! やっぱり、普段から「話しかけやすい人」だと認識されていれば、サッカーをやる上でも「あの人なら何でも要求しやすいな」と思ってもらえるじゃないですか。極論、学年も年齢も全部壁を取っ払って、何でも言い合える関係性が理想です。
――森主選手は、何となくですが、西澤選手に少し似ているタイプな気がします。誰とでも分け隔てなく接するという意味で。
森主 あぁ~、なるほどね! 確かにそうかもしれない。健太の人懐っこさ、人柄の良さは僕らの代で一番じゃないかな。だからこそ、航也とあそこまで深く仲良くいられる。航也と密な関係になれる人ってあまりいないから。
――ちなみに、宮本選手は後輩から怖がられていたとお聞きしましたが…。
森主 そうそう! アイツは悪いヤツですよ~! すぐ後輩をいびる(笑)。航汰と航也は、後輩に怖がられてた。でも実は、航汰もボトルの水汲みをするタイプの人です。というか僕らの代はみんな、自分が喉乾いてたら、自分で水汲みに行きます。みんな仕事もするし、一人ひとりが自立してて、本当に良い学年でした。
心のこもってない「おめでとう」を言った
――同期にレベルの高い選手が揃うなかで、どのように「プロ入り」を勝ち取ろうと考えていましたか?
森主 僕は上手くもないし、スーパーな能力があるわけでもない。でも、だからこそ「下手でもプロなれるぞって証明したい」という信念だけは貫いてやってきました。まさに“雑草魂”って感じで、良いのか悪いのか分からないけど、エスパルスアカデミーの中では異色の存在だったと思います。
――自分のことを「下手」だと思っていたとしても、何か一つでも自信を持てる部分があったのでは?
森主 僕ね、確かに下手なんですけど、自己肯定感だけは人一倍高いんですよ。「J1で活躍できる」という自信は今でも持ってるし、それがなくなった時点で選手としての一線は引かなきゃいけないと思ってるんです。
――その自己肯定感はどうやって身につけたのですか?
森主 中学生ぐらいの時にオカンから薦められた本に「引き寄せの法則」というのが載っていて。要は「自分が思ってることが具現化する」という内容だったんですけど、「じゃあ、常にポジティブでいれば、そのとおりになるじゃん!」と思って実践するようにしたら、ずーっとポジティブでいられる習慣がついちゃったんです! ハハハ!(笑)
――例えば「トップチームに昇格できなかったこと」は大きな挫折の一つだと思いますが、その時はどのように受け止めましたか?
森主 トップに昇格した同期の3人(北川、水谷、宮本)は、先にプロの世界を経験できるけど、一方で、アイツらは「大学4年間」を経験できないんですよ。まぁ、引退してから入学することもできるけど、少なくとも18歳~22歳の間に大学に通ったり、大学サッカーの舞台でプレーすることはできない。僕は、大学で得られる経験も大きなものだと思ったし、「4年後にプロになれれば良い」と前向きに捉えてました。
――では、悔しさなどはあまり感じず?
森主 いや、もちろん悔しさはメチャメチャありました。だって、つい昨日まで横にいたヤツがプロになるなんて、そりゃあ素直に「おめでとう」なんて言えないですよ。僕は、同期の活躍を心から喜べてしまったら、それも《一線を引くべき時》だと思ってるんです。だから、「現役を引退する時までに絶対打ち負かしてやるから、今に見とけよ!」っていう反骨心は常に持ってる。3人のトップ昇格が決まった時、一応、「おめでとう」とは言った気がするけど、まぁ~、心はこもってなかったでしょうねっ! どうしよう、これ記事に書かれたら、性格悪いのがバレてしまう(笑)
――プロになった選手たちとの差はどんなところに感じましたか?
森主 マインドの部分だけなら、僕は誰にも負けない自信があります。単純に僕の実力不足で、まだまだ自分の武器を突き詰めることができていなかった。やっぱりあの3人は「プロになるべくしてなった」と思うし、一つひとつのプレーへのこだわりは、身近にいたからこそよく分かる。そこは大学4年間でもっと追求しないといけないなと思いました。
――「下手」だと言いながら、そこで卑屈になったりはしないのですね。
森主 下手くそでも向上心はありますからね! シュート練習もパス練習も、少しでも上手くなろうと思いながらやってるので!
――それだけ自己肯定感が高いと、逆に過信になってしまうことはないのですか?
森主 それが僕ね、ほんっとにサッカーが下手なんですよ、誰がどう見ても(笑)。技術だけで言ったら、J1で勝負できるようなものは今の僕にはないんです。一人でドリブルで勝負することもできないし、そういう個人技で勝負できない僕みたいなタイプは、そりゃあもう、生き残るのが大変で。
――それを補うのが“泥臭さ”?
森主 まさに! ディフェンスラインまで戻って守備をするとか、瀬戸際のところでの“あと一歩”を絶対に出す。そういう細部へのこだわりが僕の生きる道ですから。
例えるなら、《試合中の航也》みたいな人がいっぱいおる
――大学に進学して良かったことは何ですか?
森主 ユースの頃は全員が「トップチームに上がる」という一つの目標に向かって意識高く取り組んでいたけど、関西大は総部員が約260人もいて、各々違った志を持っています。それも“プロになれなかったヤツら”の集まりだから、みんなタフで、泥臭い。そういう人たちと関われたことは僕の財産になっています。
――なぜ関西大に進学したのですか?
森主 ヨコさん(横山貴之ジュニアユース監督)が関西大出身で、すごく良いと聞いてたのが一つ。あとは、ユースの同期はだいたいみんな関東の大学に行くと思ってたので、まぁ、カッコよく言うとね、《僕を知ってる人がいない場所》に行きたかったんです! ましてや関西と言ったら、地域的に「我が強い人が多い」イメージがありますから、そういう環境に身を置きたかった。だけど、行ってみたら案外、知り合いは多いし、部内は上下関係もないし…「あれ?」って(笑)
でもやっぱり、関西の方がズバズバと物を言う人は多いかな。例えるなら、《試合中の航也》みたいな人がいっぱいおるって感じ(笑)。「何やねんそれ!」とか「もっとはよパス出せや!」って、一つのミスに対してメッチャ言うんです。僕、サッカー中に怒られる経験をあまりしてこなかったので、最初は怖かったですけど、逆に捉えたら、それだけ一個一個のプレーにこだわってるってこと。そう考えると、航也みたいに自分の意見をサッと言えるのってすごいことだったんだって気づいたんですよ。だからユース時代、ただ航也をおだてるだけじゃなくて、もっと僕らも意見をぶつけ合うことができていたら、さらに良いチームになっていたのかも…なんて思ったり。
――「怒られる経験をしてこなかった」というのは、指導者も含めて?
森主 そう。でも一回だけ、大榎(克己ユース監督/現強化部長兼清水エスパルスフィロソフィー作成チーフ)さんにメチャメチャ怒られたことがあります。試合前日のセットプレー練習で少しピリピリしていた時、大榎さんが話をしている間に、僕と航也でちょっと喋っちゃったんです。もちろんサッカーに関する話だったんですけど、まぁ、「何で話を聞いてないんだ!」ってなりますよね。で、大榎さんがスタッフ全員に「帰るぞ!」と言って、クラブハウスに引き上げてしまったんです。
――何年生の時の出来事ですか?
森主 高2です。だから先輩たちを巻き込んでしまった罪悪感もあって、もう大号泣(笑)。それで大榎さんに謝りに行ったら、僕の涙が効いたのか、許してもらえました!
――心からの涙だったんですよね?(笑)
森主 もちろんですよっ!! 僕、すっごい泣き虫なんです、困ったもんでね。逆に、一緒に謝りに行った航也は全く動じず、スーンって顔してましたけどね(笑)
――他に大学時代のエピソードはありますか?
森主 大学時代の話なら、僕、もう止まりませんけど、良いですか?(笑)。関西大は、とにかく《まとまり》がすごい! まず、応援なら大学日本一だと自信を持って言えます。トップチームだけでなく下のカテゴリーの試合まで、部員みんなで自主的に応援に行くんです。
――自主的ということは、交通費は自費?
森主 そうです。僕らはバイクや車の運転が禁止されていて全部、公共交通機関を使って行っていたので、しんどいのなんのって! 親にすがって、すがって、すがりました(笑)。インカレ(関東開催)の時はチームでバスが手配されましたけど、それも一人何千円ときっちり参加費を取られるし、車中泊です。そんな条件でも応援に来てもらえるから、ピッチに立つ側としてはうれしいし、「結果で恩返ししなきゃ」って思うことができました。
――「お金(交通費)を払って観に来てもらう」という点で言えば、ある意味、プロに近い感覚?
森主 ですね。その分、情けない試合を見せたりしたら、ボロカス言われますから。逆に、僕らも他のカテゴリーの試合の応援に行った時には、「こんな試合、観に来てへんねん!」なんて野次を飛ばすこともあった(笑)。自分がサッカーをやるようになって、ここまで本気で《チームを応援する》ことがなかったから、ある意味、“サポーターの気持ち”に近いものを味わえたのは貴重な経験でした。
同じ境遇の健太はすごく意識していた
――関西大はどんなサッカーを志向していたのですか?
森主 僕がいた頃は、身体の小さい選手ばかりだったので、ボールを大事につなぐサッカーをしていました。だけど僕、《つなぐサッカー》がメチャメチャ苦手なんですよ。何度も言いますけど、ほんっとに下手だから! 常に他の選手に「頼む! 近くに来てくれ!」と言って、ほぼワンタッチ、ツータッチでプレーしてました(笑)
――「エスパルスユース出身」という肩書きがある分、過度に技術を期待されそうです。
森主 そんな期待もね、入学から1年も経たないうちにすっかりなくなりましたよっ! 「あれ? 本当にエスパルスユース出身?」ってすぐ疑われましたから。なんだかもう…エスパルスに申し訳ないです(苦笑)
――大学時代と言えば、天皇杯でエスパルスと対戦した際(1-2で敗戦)、アイスタに“帰って”きましたね。
森主 まさかエスパルスと対戦できるなんて、夢にも思ってなかったです。あの日、ピッチに立って感じたのは、大学生とプロの差。僕らは前半が終わっただけで、もう延長戦まで戦ったんじゃないかってほど身体がキツかった。あとは、試合後にエスパルスサポーターの方々が僕に声を掛けてくださったのが、すごくうれしかった。「絶対にまたこのピッチに帰って来て、今度はこの人たちを喜ばせるために戦いたい」と強く感じた瞬間でもありました。
――大学2年時には、全日本大学サッカー選手権大会で西澤選手がいる筑波大と対戦しました。北川選手も観戦に来ていたそうで。
森主 ありましたね。でも、連戦だったので関西大は選手をターンオーバーしていて、その日に限って僕はスタメンを外れてしまったんです。もっと長い時間出たかったのにっ!
――勝利した筑波大は、そのまま優勝を果たしました。
森主 そう! だから余計に腹立つでしょう? エスパルスユースの同期がいるチームだけは「優勝するな!」って思っちゃいますもん。
――ほほう(笑)
森主 僕、表面上は良い人ぶってますけど、実はメッチャ“嫌なヤツ”なんですよ(笑)。僕と健太は同じ境遇というか、大卒でエスパルスに戻ることが目標で、アイツはどうだったか分からないけど、僕はすごく意識していた。だから、アイツのエスパルス加入が決まった時、僕はエスパルスの練習着を脱ぎ捨てました!
――脱ぎ捨てた!?
森主 それまでは「俺はエスパルスにしか行かん! エスパルス以外からのオファーは全部断る!」って思っていたから、大学でもずーっとエスパルスの練習着を着て練習していたんです。でも、健太の加入が決まり、関西大の監督から、エスパルスが僕を取る気はないと聞かされて以来、無地の練習着を着るようになりました。
――チームの補強ポイントにフィットするかどうかも関係しますし、単純に実力だけの問題ではないかもしれません。
森主 そうは言っても、やっぱり負けたくなかったし、腹は立ちますよね! アイツの加入が決まった時も連絡はしたんですけど、全く心のこもってない文章を送ってやりましたよっ! ほら! また性格悪いところが出ちゃった!
――リアルな感情って感じがして、良いですよ(笑)
森主 今まで取材では「100点満点」な受け答えしかしてこなかったのに、昔の話になると、つい、いろいろ喋っちゃうもんだなぁ(笑)
現役引退を迎える時、ヴィアティンがJ1にいたら良い
――大学卒業後はJFLのヴィアティン三重に加入しました。経緯は?
森主 Jクラブも含めて複数のクラブの練習参加には行ったんですけど、どこも引っかからず、本当に行き先がなかったんです。そんな時、上野(展裕)監督から直接電話をいただいて、本気でJリーグ参入を目指すクラブと出会えて良かったなと思っています。
――就職活動はしていたのですか?
森主 まーったくしてません。上野さんから電話が来たのが大学4年の1月末か2月の頭ぐらいで、もうJクラブは新チームづくりがとっくに始まっている時期。だから、加入が決まるまではメチャメチャ焦ってました。大学4年のシーズンが終わった後、同期たちは遊びに行ったりしてたんですけど、もちろん僕は行けない。年末に静岡に帰って、毎年恒例の『ユース会』に参加しても、他のみんなは「チームが決まった」「就職先が決まった」という話ばかり。健太なんて、まぁー良い顔しちゃって! 面と向かって会ったら正直、こみ上げてくるものがあったし、その年の『ユース会』は、心から笑えた回数は少なかったです。
――参加しただけ偉いと思います。
森主 そりゃあ僕、キャプテンですからね! 欠席なんてできないですよ。でも、その時期だけは本当に落ち込んで、「俺はもう、サッカーを諦めろってことなのかな」とか、ネガティブなことばかり考えちゃって、ツラかったです。「チームが決まらない。就活するにも今からじゃ間に合わない。どうしよう、どうしよう」って頭がいっぱいになって、初めて“眠れない日々”を過ごして、ちょっと鬱になりかけました。
――よく辛抱強く待ちましたね。
森主 年末に実家に帰った時、オトンと車に乗っていたら、急にオトンが公園に駐車して、こう言ったんです。「オマエみたいな歳までサッカーができる人は本当に一握りだから、やれるところまでやっていいよ。俺らができるだけサポートするから」って。いきなり言われたもんで、その時は恥ずかしくて何も言えなかったですけど、後から涙が出てきちゃって。その言葉が頑張るきっかけになったし、他にも友達や知り合いの方が声を掛けてくれたりして、そういう人たちは一生大切にしたいと思いました。
そんなことがあったので、上野さんから電話が来た時は、まずホッとしました。だから、ヴィアティンには“借り”ができたと思っているし、ヴィアティンのために、上野さんのために全力でやってやろうという気持ちになりました。
――ヴィアティンに加入した昨シーズンは、上野監督の就任1年目ということで、チームの土台作りがメインだったと思います。
森主 周りから見たらそうだっただろうし、監督もそのつもりだったかもしれないけど、僕は1年目から勝負したつもりだったので、満足はしていません。1年をとおしてチームの成績も良くはなかったし、個人的にも課題がたくさん見つかったシーズンとなりました。
――上野監督のサッカーについてはどのように感じていますか?
森主 以前の僕は、攻撃に関するアイデアが《ほぼゼロ》だったんですよ(苦笑)。それが上野監督と出会い、海外サッカーなどいろいろなチームの動画を観せてもらい、攻撃のバリエーションを持てるようになりました。あとは“走りの質”とか。今まではただたくさん走るだけで頑張っている気になっていたけど、いかに効果的に走るかを明確にしていただきました。
――サッカーをより理論的に知ることができた、と。
森主 そのとおりです! 今まで感覚でやってたものを、頭を使ってやるようになった。上野監督と出会って僕自身、すごくレベルアップできていると感じていますし、今、ヴィアティンが目指しているサッカーをこのまま突き詰めていけば、自分もチームも成長できるはずだと信じています。
――ヴィアティンで成し遂げたい夢や目標を聞かせてください。
森主 今年の目標は「J3昇格」、それだけです。自分が何点入れようが、何アシストしようが、どうでもいい。Jリーグに昇格して、サポーターの皆さんやクラブに関わるすべての人たちを喜ばせたい。上野監督を“漢”にしたいです。そして将来的には、チームと一緒にステップアップを続けて、自分が現役引退を迎える時、ヴィアティンがJ1にいたらいいなと思っています。
――最後に、静岡のサッカーファンとヴィアティンのサポーターへメッセージをお願いします。
森主 エスパルスのサポーターってすごくアットホームだし、アカデミーのことも本気で応援してくださる方が多いんです。どんな試合でも常に力はもらっていましたけど、とくに札幌や青森などの遠方まで応援に駆けつけてくれた時は、「この人たちのためにも、本気で戦わなきゃいけない」って思わせてくれました。それに、僕なんてアカデミーしか所属していなかったのに、大学進学後も足を運んで応援に来てくださる方もいて、本当にありがたいと思っています。もし可能でしたら、三重にも来ていただき、ヴィアティンという素晴らしいチームがあることを知っていただくと同時に、僕の成長も見守っていただけたらうれしいです。
でも、僕にとってエスパルスは今、所属していない以上、《一番倒したい相手》です。いつかまたエスパルスと対戦できるよう、僕はヴィアティンのためにすべての力を捧げるつもりです。今は新型コロナウイルスの影響で試合ができない状況が続いていますが、リーグが開幕したら、全部勝ちにいきます。そして今シーズンこそJ3に昇格するので、ヴィアティンのサポーターの皆さん、ぜひ一緒に戦ってください!
インタビュー・文=平柳麻衣
写真提供=ヴィアティン三重
1996年9月25日生まれ、静岡県出身/身長・170センチ、体重・64キロ/清水エスパルスジュニアユース→清水エスパルスユース→関西大学→ヴィアティン三重/ポジション・MF