【静岡STORY~vol.2】須貝英大:「静岡に来て間違いなかった」…浜松開誠館高校の先輩・松原后のように「走り」で脅威を与える選手に

 もし、外の世界を知る道を選んでいなかったら、須貝英大は自分の殻を破れないままだったかもしれない。

 中学3年の夏前まで、須貝は地元・山梨県内の高校に進学する予定だった。しかし、一つの出会いが須貝のキャリアに大きな影響をもたらした。

 監督同士のつながりにより、中学時代に所属していたフォルトゥナSCジュニアユースと浜松開誠館高校の練習試合が行われた。その際、須貝は青嶋(文明)監督に声を掛けられた。

「もともと3人の先輩が開誠館に入っていたことから、県外に出て勝負してみたいなという気持ちがあったので、開誠館への進学を決めました」

 先輩から事前に「静岡はサッカーの熱量すごい」と聞いていた。実際に足を踏み入れてみると、自分が持っていた世界観との違いは明らかだった。

「まず、全国大会じゃなくてもテレビカメラが来たり、新聞に大きく載ったり、スタジアムにすごい人数の観客が来たりとか、そういったところで『サッカーを観る習慣が根付いているんだな』と感じました。サッカーの環境も整っているし、プレーのレベルも高い。選手たちの意識が高いから、『中学までの自分じゃまだまだ甘かった。もっとレベルアップしないとここでは通用しないんだ』と思った。それに気づけたことが良かったし、静岡に来て『間違いなかった』と思えました」

 浜松開誠館高校への進学をきっかけに、プレースタイルにも変化が生まれた。中学から高校に上がった時はボランチを主戦場としていたが、「走れる」ことが評価され、次第にサイドで起用されることが増えていった。高校2年時は主にサイドバックやウィングバックを務め、3年生になると、チームにケガ人が出た影響からセンターバックも経験した。

「ウィングバックをやった時は、攻撃に参加したいけど守備もやらなきゃいけないので、求められることが多くてすごくハードでした。本当に厳しかったけど、そのおかげで自分のプレースタイルは劇的に変わった。何より、『走れる』ことに自信を持てた高校時代でした」

 自身のプレースタイルをより確立していく上で、ヒントを与えてくれた選手がいる。浜松開誠館高校の2学年先輩で、高卒でプロ入りした松原后(シント=トロイデン)だ。高校時代は「少しは絡む機会があったんですけど、2学年上だったので、怖くてあまり話し掛けられない先輩だった(苦笑)」というが、卒業後、高校の初蹴りなどをきっかけに話す機会が増え、アドバイスを受けるようになった。

「プロの世界はどういう感じとか、プロになるためにはこういうことをやっておいたほうがいいとか、いろいろ教えてもらいました。一番言われたのは、サイドを務めるなら『とにかくアグレッシブさが大事』ということ。それは后くんのプレーを観ていても感じることで、どんどん積極的に攻撃参加するだけでなく、守備で体を張るという面でもアグレッシブさが出ている。そういう部分は自分もこだわって、真似していきたいなと思っています」

 プロ1年目から出場機会をつかんだ松原のアグレッシブなプレースタイルは、チーム内トップクラスの運動量を備えてこそ体現できているもの。そして松原を手本の一人としてきた須貝もまた、運動量に自信を覗かせる。

「隙があればどんどんゴール前に入り込んでいく、そういう選手は相手チームにとって嫌な存在だと思います。それに、相手に合わせて“走らされる”のと、自分からアクションを起こして“走る”のとでは、体力の消耗の仕方が全然違うんです。自分も『運動量』を売りにするからには、自分からアクションを起こすランニングをしようと常に自分に言い聞かせてますし、走ることで相手の脅威になる選手になりたい」

 ヴァンフォーレ甲府への加入が内定した際、松原に報告すると、「試合に出続けられるように、頑張れ」とエールをもらった。

 試合に出続けることで新たな景色が見えてくる――。それはJリーグから海外へと羽ばたいた松原が示してくれた道であり、須貝自身も高校、大学と経験を重ねながら実感を得てきた。

「やっぱり試合に出続けることで、雰囲気に慣れたり、気持ちに余裕が出て自分のプレーを出しやすくなる。プロになっても試合に出られなければ意味がないと思っていますし、まずはヴァンフォーレで結果を残したい。せっかく地元のクラブでプレーする機会を与えてもらったので、“ヴァンフォーレ甲府の選手として”目の前のことに集中して、自分の全力を尽くしたいです」

 走って、走って、チームの勝利に貢献する。それが成長を促してくれた人々、支えてくれるファン・サポーターへの恩返しになると信じて。

文=平柳麻衣