【静岡STORY~vol.1】アップシューズで仮入部、審判資格も取得…異彩を放つ静岡西高サッカー部の女子マネージャー

 静岡西高校サッカー部のマネージャーを務める柴戸美緒さん。かつては『なでしこジャパン』に憧れ、清水FC女子チームで選手として活躍した彼女は、様々な苦労を経て選手を続ける夢を諦めた。しかし、尽きることのないサッカー愛を胸に、現在は新たな目標に向かって邁進している。

インタビュー・文=平柳麻衣
写真=本人提供

 汗水流しながら力仕事をこなし、部員を厳しく叱咤すれば「鬼マネージャー」と呼ばれる。それでも彼女は笑顔を絶やさず、1日1日が過ぎゆくのを名残惜しそうにしている。

 静岡西高校に通う3年生の柴戸美緒さん。彼女がサッカーと出会い、その魅力に心を奪われてから、もう13年の月日が経つ。彼女はいわゆる“縁の下の力持ち”タイプのマネージャーではない。なぜなら、彼女自身が選手として脚光を浴びた過去を持つからだ。

「女がいると負けるから…」という偏見

 柴戸さんはもともとサッカーとは縁のない家庭で育ったが、5歳の時、人生を大きく左右する出来事があった。父の知人の勧めで初めてサッカーボールを蹴った。すると彼女は一瞬にしてサッカーの虜になった。

「サッカーってこんなに楽しいんだ!って、もう、ビックリしちゃって。あの時の感覚はいまだに忘れられないです」

 身体を動かすことが好きだったため、体操や水泳などを習ったこともあったが、どれも長くは続かなかった。しかし、サッカーだけは違った。その後、母親に連れられてサッカースクールに通い始め、気づけば10年にわたってボールを蹴り続けた。

 もう一つ、彼女がサッカーから離れることがなかった大きな理由がある。それは、チームメイトから言われた“ある言葉”が、いつまでも彼女の脳裏に焼き付いていたからだ。

「当時はまだ女子サッカーがあまり普及していなかったので、最初は男子サッカーのスクールに入れてもらいました。そうしたら、ある男の子に『女がいると負けるから、こっちのチームに来るな』と言われて。“女の子だからサッカーが上手くない”っていう偏見を持たれているのが本当に悔しかったんです。『いつか絶対に見返したい』と思っていました。コーチも女の子だから気を遣って優遇してくれたりしたんですけど、私としてはそういう“特別扱い”を受けることで逆にやりづらさを感じていて」

 そんな女子サッカーに対する風向きが大きく変わったのは2011年。この年、なでしこジャパンがFIFA女子ワールドカップで初優勝の快挙を成し遂げた。当時、小学3年生だった柴戸さんも、なでしこジャパンの奮闘をテレビ越しに見つめ、世界一に輝いた彼女たちに夢中になった。

「当時、川澄(奈穂美/INAC神戸レオネッサ)選手が大好きで。女子サッカー選手って髪が短くてサバサバしているイメージを持たれていたと思うんですけど、川澄選手は“女子力の塊”ってぐらい可愛いくて、なおかつプレーも上手い。『私も川澄選手みたいになりたい!』って密かに憧れていました」

 偶然にも、柴戸さんはなでしこジャパンの優勝が決まる少し前に、清水FC女子チームに正式加入した。当初はチームメイトに同学年の選手が一人しかいなかったが、なでしこジャパンの優勝を境にどんどん選手が増えていき。女子サッカー人気の高まりを肌で感じた。

 女子チームでは当然ながら、男子チームにいた頃のように“特別扱い”を受けることはない。「清水FC女子は選手や監督だけでなく、保護者の熱量もすごいので、本当に生き生きとサッカーに取り組むことができました」。純粋にサッカーと向き合えることが、柴戸さんは何よりうれしかった。

 清水FC女子はパスサッカーを主体とし、柴戸さんは主にFWやサイドハーフでプレー。「身体が大きい方だったので細かな動きは苦手だったけど、その分、大胆に見せるプレーができればいい」と考え、左右どちらのサイドも務められるよう、両足のキックの精度を磨いた。6年生になると自らキャプテンに立候補してチームのまとめ役を担い、県大会優勝、東海大会3位、そして全国大会出場に導いた。

 無我夢中でサッカーに取り組むうちに、かつて意地悪な言葉を投げかけてきた男子の名前も顔も、いつの間にか記憶から消えていた。それだけ充実した日々を送ることができていた。

1週間の仮入部で仕掛けた“勝負”

 中学時代は清水FC女子のジュニアユースに上がってサッカーを続けたが、輝かしい小学生時代とは一転、不遇の時を過ごした。選手としての成長を阻んだのは、小学生の頃から悩まされていた耳の病気と、度重なるケガだった。

 最初に身体の異変に気がついたのは小学6年生の時、母親の指摘がきっかけだった。

「母が試合を観に来てくれた時に、『ちゃんと監督の指示、聞いてるの?』と言われて、監督がそんなに指示を出しているなんて知らなかったから、そこで初めて自分の耳がおかしいことに気づいたんです」

 医師の診断ではストレスが原因だと告げられ、薬を服用すると副作用が出てしまうため、小学生最後の大会は欠場を余儀なくされた。「ストレスなんて全然感じないタイプだと思っていた」と言うが、今思えば、当時はキャプテンとしての重圧が知らずしらずのうちにのしかかっていたのかもしれない。

「小学3年生ぐらいからクラスで学級委員をやったりして、人をまとめることが得意だったので、キャプテンにも立候補しました。でも、思っていたよりも大変でした。私は“上手い選手”ではなかったから、『下手な人に指示されたくない』と思っていた選手はたくさんいたはず。もちろん、『口だけじゃん』とは絶対に思われたくなかったので、自分が言ったことに責任を持って、自分が真っ先に動くよう心掛けていました」

 その他にも、チームが円滑に活動できるよう細かな部分で「キャプテンだから」と我慢してしまうことも多く、「すごく気を遣って過ごしていた」と当時を振り返る。

 中学生になると、1年生の半ば頃に腰椎分離症を患い、治るまでに半年を要した。その後も靭帯損傷などのケガが重なり、思うようにサッカーができないことがストレスとなって、耳の不調が再発した。次第に周りの選手との実力差も開いていき、柴戸さんの心境に変化が生まれた。

「本当に悔しい思いをたくさんしました。でも、これ以上プレーを続けてもまたケガがひどくなるかなと感じていて、自分の中で『選手としてはやりきった』と思えた。だから、高校ではサッカーを続けないと決め、受験勉強に切り替えることにしました」

 ただし、「サッカーから離れる」という選択肢は彼女の中に微塵もなかった。学校見学ではサッカー部がマネージャーを募集しているかどうかを必ず確認し、静岡学園高校や清水桜が丘高校などの強豪校は募集がないため、進路の選択肢から外した。そんな中、静岡西高校には『体育コース』があることを知った。

「静岡西高校のサッカー部は特別強いわけではないけれど、体育コースがあるということは、本気で部活に取り組んでいる人が多いということ。強い、弱いに関係なくみんなが真剣に取り組んでいれば、自分も良い刺激をもらえるだろうし、最初から強いチームではなく、ここから強くなっていくチームの姿を間近で見守れたらいいなと思って、静岡西高校を受験しました」

 ところが入学直後に、思わぬ試練が待ち受けていた。静岡西高サッカー部のマネージャーは、各学年1人だけという決まりがあったのだ。柴戸さんの学年は、彼女を含め3人の志望者がおり、先輩マネージャーの判断によって選抜されることとなった。

「ここで負けたら、何のためにこの学校に来たんだろうってなってしまう。絶対に負けられない」と闘争心を燃やした柴戸さんは、約1週間の仮入部期間である“勝負”を仕掛けた。

「仮入部の時に、あえてサッカー用のアップシューズを履いて行ったんです。それで先輩や部員たちが『あれ?何でその靴履いてるの?』って気づいてくれたら、私がサッカー経験者であることをアピールできるかなと思って(笑)」

 思惑どおり、サッカー経験者であることはすぐに部員たちの間に広まった。もちろんマネージャー業務のこなしぶりも評価され、無事に合格。晴れて静岡西高サッカー部のマネージャーとなった。

「やっぱり自分と同じケガ」…経験を活かして応急処置

 マネージャー業務には、10年間の選手生活で培った経験がすべて活きている。例えば、選手の人数が足りなければ数合わせでミニゲームに参加することもある。選手がケガをした時には、「怪しいなと思ったら、やっぱり自分と同じケガだった」とすぐに察し、速やかに応急処置を施すことができた。

 また、「少しでも役に立ちたい」という思いから、この夏、4級審判員の資格を取得した。試験会場にいた他の受験生は全員男子だったそうだが、「細かいルールを知っていれば、他のサッカー部のマネージャーとは違うサポートができるはず」と捉えて臨んだ。実際、4級資格を持っていれば、中部地区の大会では主審、県大会では副審まで担当することができる。

 マネージャーとして何より大切にしているのは、「上手い下手とか関係なく、みんな平等に接すること」。それは彼女自身が試合のメンバーに入れない選手の気持ちをよく理解しているから。「メンバー外の選手はどうしても後回しにされがちだけど、マネージャーは試合に出る選手のためにいるんじゃなくて、“みんなの”マネージャーだから、全員に分け隔てなく接していきたい」。それが彼女のモットーだ。

 プレー面でのアドバイスこそすることはないが、チームづくりの面では自身の経験を踏まえ、親身になって部員たちの相談に乗ったり、心を鬼にして厳しい言葉を掛けたりすることもあるという。

「やっぱり団体競技を10年続けてきた経験って大きくて、部内で何かが起きた時に経験者として話せることが多いのは利点かなと思います。例えば、『強くなるためにどうしたらいいのか』って部員たちと夜まで話し込んだことも。上の学年の選手だけが上手くなればいいわけじゃない。1、2年生も成長させながらチームとして結果を残すにはどうしたらいいんだろうって、本気で意見をぶつけ合ったりして。そこは自分がキャプテンをやっていた時の経験談を交えながら、マネージャー=部外者ではなく、部員の一人として真剣に考えます」

「それから、モチベーションが少しでも落ちてる部員がいたら、『ちゃんとやりな』って厳しく言う時もあります。だから『鬼マネージャー』ってよく言われるんですけど(笑)、でも、せっかくみんな『勝ちたい』っていう同じ気持ちを持っているのに、本気でやりきらなかったら後で絶対に後悔する。みんなには良い気持ちで引退してほしいから」

 高校ラストシーズンに入って以降、柴戸さんは部員たちの目の色が日に日に変わっていくのを感じ取っている。

「みんなが悔いの残らないようにやってくれれば、私も3年間支えてきて良かったなって思える。何年後かに『そういえば高校時代、あんなマネージャーがいたな』ってみんなが思い出してくれるようなサポートができていればいいなって思います」

一度でいいから、部員とバチバチのサッカーがしたい

 マネージャー業務に奔走する一方で、彼女は自身の夢に向かって努力を続けている。彼女の夢とは、「理学療法士になること」だ。

「中学時代は自分自身がケガをして、高校では“人を支える”という経験を積んで、それらを活かすために、そしてサッカーに関わり続けるために、理学療法士を目指すようになりました。今、サッカーの現場に携わる理学療法士って男性が多いですけど、女性だからなれないという職業ではないはず。だからまずは大学で勉強して、病院などでキャリアを積んで、サッカーの現場で活躍できたら幸せだろうなって思います」

 部員の多くは体育コースに所属しているが、大学進学を目指す柴戸さんは総合コースの特進クラス。通常の授業に加え、大学入試対策の補講を受ける日もある。クラスメートの多くが運動部には所属しておらず、勉強に注力するなかで、柴戸さんは休み時間に課題を進めたりなどやりくりしながら、勉強と部活を両立させてきた。

 9月下旬には、いよいよ3年生最後の大会となる高校サッカー選手権の静岡県大会が始まる。

「マネージャーをやりたくて静岡西高に来て、想像以上に楽しい毎日が送れています。やっぱり部員に頼ってもらえるとうれしいし、私をマネージャーとして迎え入れてくれてありがとうって。引退までの残りの時間も、毎日が良い思い出になるように大切にしていきたい」

 高校生活でまだやり残していることを聞くと、「一度でいいから、ただの数合わせではなく、ちゃんとスパイクを履いて、部員とバチバチのサッカーをしてみたい」と言って、笑みをこぼした。どこまでも一途にサッカーを愛する彼女はこれから先もずっと、サッカーがある毎日を過ごしていく。